コニー・タルボット(Connie Talbot、2000年11月20日生まれ)は、2007年イギリスで放映されているタレント発掘の公開オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」に6歳で出場。決勝へ進出しポール・ポッツに敗れるが、天使の様な笑顔と歌声は人々に感動を与え一躍有名になる。彼女の運命を変えるきっかけともなったこの大人気番組の模様はYouTubeを通じて世界中に配信され、驚くべき6歳として話題を呼んだ。2007年にデビューアルバム「Over the Rainbow」をリリースし、わずか3週間でゴールド・ディスクを受賞したイギリスのみならず、世界中で25万枚以上をセールスし、3カ国でナンバーワンとなりヨーロッパやアジアのあらゆる国々、そしてアメリカでも急激な盛り上がりを見せた。2008年にはアメリカで、コニーのアルバムはビルボード誌の“ヒートシーカーズ・チャート”で第7位となり、シングル”Three Little Birds”は、“ホット100 シングルズ・セールスチャート”において第1位に輝いた。まだ幼いこの少女は国際的に注目される存在となり、世界中のショーに出演し、YouTubeにあるコニーの動画は、2012年11月現在総計で5億回以上も視聴され、メディアからは熱烈な取材を受け、現在膨大なアルバムの売り上げを記録している。そして、“ギネス世界記録”はコニーの2つの栄誉を認定した。1つはヒットチャートに入ったイギリスで最も若いアーティストという分野における新たなるチャンピオンとして、もう一つはゴールド・ディスクを受賞した最も年若い歌手として。また、2011年の終わりから2012年の3月まで、コニーはロンドンの数か所の有名な会場を網羅してイギリスを横断する、“ヤング・ヴォイシーズ・コンサート”に参加した。この“ヤング・ヴォイシーズ・ツアー”の間の3月6日に、公の会場で最も多くのバックシンガーに伴われて歌った一人のリード・ヴォーカルとして、彼女はギネス世界記録を更新した。2012年12月には待望のニューシングル「Sail Away」を配信限定リリースで日本再上陸が決定。コニーの透きとおる様な歌声と、エバーグリーンな輝きを放つ爽やかなポップソング「Sail Away」はコニーのお気に入りの曲でもあり、現在世界中のファンから賞賛され大好評を受けている曲だ。多くの人がコニーの素晴らしい歌声に驚嘆するが、おそらく人々の心を最も強く打っているのは、彼女の素晴らしい個性であろう。コニーに会った人は皆、その愛すべき性格を経験している。特に、力を与えられることを必要としている人に、コニーの歌声と個性が、なぐさめや力を与えているのである。そしてコニーの天使の笑顔と歌声は日本中に元気を贈る!!


(コニー・タルボットの詳しいプロフィール)
2007年、一人の有望なる未来のシンガーが、イギリスの大人気テレビ番組、“ブリテンズ・ゴット・タレント”のステージ上に足を踏み入れた。隙間のある歯を見せて魅力的に微笑み、たちどころにしてイギリスの一般視聴者のハートのみならず、気難しいことで有名なサイモン・コーウェル―そう、あのサイモン・コーウェルである!-のハートをも掴んだのだ。たった2分間後に、本物のスターが誕生していた。この快挙をより一層顕著なものとしたのは、このときコニー・タルボットはまだ若干6歳だったという事実である。コニーが誕生したのは2000年11月20日。現在は国立の小学校に在学していて、母親のシャロン、自営の資産管理エンジニアである父親のゲイヴィン、兄のジョッシュ、姉のモリーといっしょに暮している。コニーは“話すことができるようになると同時に”歌いはじめ、そのころ重い病気にかかっていた祖母ヴァイオレットと共に何時間もの時間を過ごした。2人は映画“オズの魔法使い”を繰り返し見たり、いっしょに歌ったりしていた。コニーの歌手としての大いなる才能を最初に見抜いたのはこのヴァイオレットである。残念ながらコニーが国際的なセンセーションを巻き起こす前に亡くなってしまったが・・・。コニーは祖母の葬儀で“アメイジング・グレース”を歌った。その後に彼女が経験するどのようなパフォーマンスも、これほどに強い心で臨まねばならない場面ではなかっただろう。おそらくこの経験があったがゆえに、彼女は少しも臆することなくステージに上がり、サイモン・コーウェルと全国民の前で歌うことができたのだろう。その時以来、まだ幼いこの少女は国際的に注目される存在となり、世界中のショーに出演し、YouTubeでは何百万回も視聴され、メディアからは熱烈な取材を受け、膨大なアルバムの売り上げを記録している。“コニー・タルボット現象”は、2007年のアルバム”Over the Rainbow”がたったの3週間で売り上げ10万枚を記録したイギリスのみならず、ヨーロッパやアジアのあらゆる国々、そしてアメリカでも急激な盛り上がりを見せている。2008年にアメリカで、コニーのアルバムはビルボード誌の“ヒートシーカーズ・チャート”で第7位となり、シングル”Three Little Birds”は、“ホット100 シングルズ・セールスチャート”において第1位に輝いた。その年の後半に、コニーは”Connie Talbot’s Christmas Album”をリリースしたが、その制作にあたっては技師たちが彼女の家を訪れ、寝室を特別なスタジオにセッティングすることが行われた。“ギネス世界記録”はコニーの2つの栄誉を認定している。一つはヒットチャートに入ったイギリスで最も年若いアーティストという範疇における新たなるチャンピオンとして、もう一つはゴールド・ディスクを受賞した最も年若い歌手として。2009年の初夏に、コニーは休日をテーマとしたアルバムをアメリカでリリースすると発表し、秋にはCD “Connie Talbot’s Holiday Magic” が発売された。このアルバムはホリデイ・クラシックのコニーによる演出を特徴としており、ファンのお気に入りアルバムである。CD ”Holiday Magic”をリリースすると共に、コニーは9月にはWVIA パブリック・メディア・スタジオにおいて1時間に及ぶ特集番組を収録した。この番組のワイドスクリーン、高解像度のDVDには、全ての曲に加えてもう1曲、更に3つのボーナストラックがあり、一般の市場に売り出された。この時にまだ8歳であったので、コニーは1時間に及ぶテレビの特集番組を制作した最も年若いアーティストとなったのである。CD” Holiday Magic”とテレビの特集番組によって、この急成長を続けるスターはとてつもなく多作で実り豊かな1年を過ごすこととなった。コニーはまた、2009年の“マリン・トイズ・フォー・トッツ・キャンペーン”の子供大使に指名され、この価値ある慈善事業を支援するため、CDの売り上げの一部を寄付した。彼女は“トイズ・フォー・トッツ”の大使に選ばれた最も年若い人物となったのである。2010年7月、コニーはウォルソルの“メイアー・チャリティ・ゲイラ”での公演を行った。そこで彼女はウォルソルホスピスのための募金を手伝い、それを目標百万五千ポンドに大きく近づけた。コニーは7曲歌ったが、そのうち2曲は彼女のレパートリーに新たに加わったもので、ホイットニー・ヒューストンの”One Moment in Time”、及び“Hero”であった。コニーを知る人たちは皆、彼女は慈善事業を支援するためにその素晴らしい才能を使う準備がいつでもできていることに気づいている。2010年10月、彼女の名前はイギリスの2つのチャリティーコンサートのプログラムに載っていた。一つはボーンマスで行われた、糖尿病に関わるPop4の年中行事であった。メインスクリーンに、ある人物がこの病気で苦しみ、格闘する様子がビデオで映し出されている間に、コニーが自分のテーマ曲とも言うべき”Over the Rainbow”を歌うと、聴衆の多くが、感動のあまり涙を流した。2日後、彼女はウォールヴァーハントン・オーフィアス男声合唱団にゲストとして招かれ、ウォールヴァーハントンの地を踏んだ。このコンサートで、コニーは主に年配の世代の人たちから成る聴衆たちとの間に素晴らしいきずなを築き上げた。聴衆たちはこの幼い少女に驚嘆していた。コニーは世界でもほとんど比類なき存在であるがゆえに、彼女の音楽は赤ん坊から年金受給者にいたるまで、あらゆる年代の人たちにアピールするのである。2010年11月の上旬、次なる出演契約のため、コニーは韓国へと飛び立った。この出演はおそらく、彼女のそれまでの経歴の中でも特筆すべきものと言えるだろう。なぜなら彼女はあの華やかな“ロード・トゥ・ホープ・コンサート”において、オープニング・アクトを務めたからである。このイベントはソウルで開催されたG20世界首脳会議を特色づけるものであった。世界のリーダーたち全員がコニーのパフォーマンスを目にしたことであろう。そして何百万人もの人々がインターネットを使って生でこれを見ていたことは間違いない。そのうち多くの人はそれ以前にはまだコニーの魔力の虜になってはいなかったであろうが、今では間違いなくそうなっていることだろう。彼女は韓国で他にもいくつかの出演をしているが、かの有名な“KBS クラシカル・ラジオ・チャンネル”でのインタビューもそれに含まれている。2012年12月には、コニーはビルストン・タウン・ホールにおいて、ウィルキンソン小学校の子供たちといっしょに歌い、彼らがより多くの資金を集める手助けをした。その資金はそれより数週間前に焼け落ちてしまったその学校を再建するために使われるものであった。2011年のはじめには、コニーは新年祝賀会で六億人を超える数の聴衆の前で歌うため、中国へと飛び立った。その様子は中国国営テレビで放映された。コニーはまた、同じくこの新年祝賀会での収録に参加したリン・ユー・チュンのような有名アーティストと並んで歌うという経験もすることができた。2011年の3月5日、コニーはバーミンガムのメトロポールホテルで行われた“ジョセフ・フット・チャリティ・ボール”に参加した。その夜、彼女は”When You Believe”、"Hero"、”Footprints in the Sand”それに”Something Over the Rainbow”を魅力的なアカペラ・ヴァージョンで、エヴァ・キャシディスタイルで歌った。多くの人々の寄付やオークションにより、彼らはその夜の間に15万ポンドという資金を集めることができた。2011年の終わりから2012年の3月まで、コニーはロンドンのグランド・O2・アリーナを含み、数か所の有名な会場を網羅してイギリスを横断する、“ヤング・・ヴォイシーズ・コンサート”に参加した。この“ヤング・ヴォイシーズ・ツアー”の間の3月6日に、公の会場で最も多くのバックシンガーに伴われて歌った一人のリード・ヴォーカルとして、彼女はギネス世界記録を更新した。彼女がこれを達成できたのは、ロンドンのO2アリーナにおいて8千人の子供たちが手伝ってくれたからである。これまでに述べたことの他にも、開店セレモニーやクリスマス・ライトの点灯など、コニーは相当な数のイベントに出演している。彼女は何億人もの聴衆の集まる大きなステージに上がることも大好きだし、家族といっしょに夜に外出してカラオケに行くことも同様に大好きなようだ。2011年、コニーはピアノのレッスンを始め、驚くべきことに10週間後には自分のYouTubeのチャンネルにアデルの”Someone Like You”を弾きつつ歌っている画像をアップした。その後まもなく、初めてのピアノ検定(グレード1)を受けるが、94%と言う優秀な成績であった。